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雑行の位置づけ

親鸞会で教わった雑行についてまず整理します。

・雑行に、五雑行といわれるものと諸善万行とがある。
・五雑行とは、後生の一大事助かろうとして阿弥陀仏以外の仏や菩薩や神に仕える行為。
・諸善万行を雑行といわれるのは、悪い心がけ(自力の心)でやる諸善万行のこと。雑行を捨てよとは悪い心がけ(自力の心)を捨てよということであって、善をするなということではない。


これについて、私の知る限り、お聖教のお言葉で教わったことがありませんでした。そこで、法然上人の選択集を通して仏教の中での雑行の位置づけについて学びます。

選択集のはじめは二門章といい、「道綽禅師聖道浄土の二門を立てて、しかも聖道を捨てて正しく浄土に帰するの文 」とあります。これは仏教に聖道門と浄土門の2つがあり、聖道門を捨てて浄土門に帰せよということです。これは聖浄廃立という言葉で教わった通りです。

次の二行章は、「善導和尚、正雑二行を立てて、雑行を捨てて正行に帰する文。」とあり、その浄土門には正行と雑行の二行が教えられているとあります。以下、引用していきます。(原文は意外と難しくありません。)

まず、『観無量寿経疏・散善義』にある就行立信釈(行に就いて信を立てる)といわれているお言葉が引用されています。少しずつ見ていきます。

『観経疏』の第四(散善義)にいはく、「行につきて信を立つといふは、しかも行に二種あり。一には正行、二には雑行なり。正行といふは、もつぱら往生の経によりて行を行ずるもの、これを正行と名づく。いづれのものかこれや。

ここまでで区切ります。

これは、浄土門で教えられている往生の行には、正行と雑行の2つがあるということです。このことは、法然上人の私釈に、

善導和尚の意によらば、往生の行多しといへども大きに分ちて二となす。一には正行、二には雑行なり。

とあることからもよく分かります。

『散善義』のお言葉に戻ります。

一心にもつぱらこの『観経』・『弥陀経』・『無量寿経』等を読誦し、一心にもつぱら思想を注めてかの国の二報荘厳を観察し憶念し、もし礼せばすなはち一心にもつぱらかの仏を礼し、もし口称せばすなはち一心にもつぱらかの仏を称し、もし讃歎供養せばすなはち一心にもつぱら讃歎供養す。これを名づけて正となす。

教学聖典に出ていた五正行のことです。

またこの正のなかにつきて、また二種あり。一には一心にもつぱら弥陀の名号を念じて、行住坐臥時節の久近を問はず念々に捨てざるもの、これを正定の業と名づく。かの仏の願に順ずるがゆゑに。もし礼誦等によるをすなはち名づけて助業となす。この正助二行を除きてのほかの自余の諸善をことごとく雑行と名づく。もし前の正助二行を修すれば、心つねに〔阿弥陀仏に〕親近して憶念断えず、名づけて無間となす。もし後の雑行を行ずれば、すなはち心つねに間断す。回向して生ずることを得べしといへども、衆く疎雑の行と名づく」と。

五正行は、正定の業(正業)である称名正行とそれ以外の助業との二種あることが教えられています。これも教学聖典に出ていました。

そして、「この正助二行を除きてのほかの自余の諸善をことごとく雑行と名づく」と、五正行以外の諸善を全て雑行というのだとあります。

まとめると、仏教には聖道仏教と浄土仏教とがあり、聖道門を捨てて浄土門に帰しなさい。そして、弥陀の浄土に往生するには雑行を捨てて正行に帰せよ、つまり、「往生のためには」五正行以外の諸善を捨てよということです。

長くなったので、正定の業については次のエントリーにまとめます。

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プロフィール

mosh

Author:mosh
親鸞聖人の教えによって救われたい自覚を育てられたご恩を感じつつも、教えに疑問を持ち、親鸞会を2010年6月に退会しました。
今も、親鸞聖人の教えを少しずつ学び続けています。親鸞会の方にお読み頂ければ幸いです。

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